2021.11.7 「敦賀港」 [バイク(MT-07)]
今日は、歴史探訪。信長公記には、後の豊臣秀吉木下藤吉郎が、殿軍を
指揮したとされる金ケ崎から朽木を走りました。
信長公記は、信長亡き後秀吉によって編さんされたので、秀吉びいきに
書かれているのですが、いろいろ真実も書かれているので重要な歴史書
ですね。
朝倉氏攻めで早々に攻め落とされ、その後浅井氏の裏切りで、撤退軍の
起点となったのが福井県敦賀にある金ケ崎城です。
朝一で、養老山地の南端を抜けて、八風街道で鈴鹿山脈を横切ります。
道の駅奥永源寺渓流の里で休憩しました。
ここらは、山の中です。
鈴鹿山脈を西に下って、琵琶湖大橋を越えて、道の駅妹子の郷で2度目の休憩。
湖西エリアは、若干紅葉が進んでいるようです。
遣隋使小野妹子ゆかりの道の駅みたいですね。
でも、妹子というと、こんなイメージでしょうか。
コンクリートの壁もこんなイラストがあると愉快ですよね。
そこから一山超えて、鯖街道と言われる小浜から京都に繋がるR
367北上して、滋賀県高島市朽木地区に到着します。
朽木は、金ケ崎からの撤退軍が目指した織田勢力の砦になります。
敦賀の港からは、40㌔程でしょうか。
朽木旭屋さんで…。
鯖寿司をいただく。
蕎麦とセットで、満腹です。
食後、1時間程で、敦賀の港に着きました。
赤レンガ倉庫は、シアターやレストランになっていて中に入れないのが残念。
人も多かったです。
近くに人道の港敦賀ムゼウム(ミュージアム)があります。
杉原千畝の発行した命のビザを携えたポーランドの人々が寄港した地
なのです。
建物は、最近復元したものです。
かつての金ケ崎城は、金ケ崎神社になっています。
令和2年の大河ドラマでも少しだけ出てましたね。
敦賀の街が見下ろせますね。
月見御殿跡からは、敦賀湾が見渡せます。
敦賀港からは、5分程で北陸道に乗ることができます。
そこからは、一気に高速で帰宅しました。
わらびは、まだまだ夏モードですね。
本家へは、こちらから~でも中身は同じです
指揮したとされる金ケ崎から朽木を走りました。
信長公記は、信長亡き後秀吉によって編さんされたので、秀吉びいきに
書かれているのですが、いろいろ真実も書かれているので重要な歴史書
ですね。
朝倉氏攻めで早々に攻め落とされ、その後浅井氏の裏切りで、撤退軍の
起点となったのが福井県敦賀にある金ケ崎城です。
朝一で、養老山地の南端を抜けて、八風街道で鈴鹿山脈を横切ります。
道の駅奥永源寺渓流の里で休憩しました。
ここらは、山の中です。
鈴鹿山脈を西に下って、琵琶湖大橋を越えて、道の駅妹子の郷で2度目の休憩。
湖西エリアは、若干紅葉が進んでいるようです。
遣隋使小野妹子ゆかりの道の駅みたいですね。
でも、妹子というと、こんなイメージでしょうか。
コンクリートの壁もこんなイラストがあると愉快ですよね。
そこから一山超えて、鯖街道と言われる小浜から京都に繋がるR
367北上して、滋賀県高島市朽木地区に到着します。
朽木は、金ケ崎からの撤退軍が目指した織田勢力の砦になります。
敦賀の港からは、40㌔程でしょうか。
朽木旭屋さんで…。
鯖寿司をいただく。
蕎麦とセットで、満腹です。
食後、1時間程で、敦賀の港に着きました。
赤レンガ倉庫は、シアターやレストランになっていて中に入れないのが残念。
人も多かったです。
近くに人道の港敦賀ムゼウム(ミュージアム)があります。
杉原千畝の発行した命のビザを携えたポーランドの人々が寄港した地
なのです。
建物は、最近復元したものです。
かつての金ケ崎城は、金ケ崎神社になっています。
令和2年の大河ドラマでも少しだけ出てましたね。
敦賀の街が見下ろせますね。
月見御殿跡からは、敦賀湾が見渡せます。
敦賀港からは、5分程で北陸道に乗ることができます。
そこからは、一気に高速で帰宅しました。
わらびは、まだまだ夏モードですね。
本家へは、こちらから~でも中身は同じです
2021-11-07 20:37
nice!(3)
コメント(3)
けっこう前にあったNHKの「江~姫たちの戦国~」で
歴史を学びました(笑)
赤煉瓦が連続して並ぶ風景はすごく良いですね。
by 響 (2021-11-08 15:41)
敦賀には行かないかもしれないですが、メタセコイヤから三方五湖の方へと走る予定です。
あの辺に行くのも久しぶりだな~
by よっすぃ〜と (2021-11-08 22:19)
>響さん
港と赤レンガは絵になりますよね。
できれば、自由に入れるといいのですが。
>よっすぃ~とさん
メタセコイヤは、紅葉に時期は、渋滞がひどいですよ。
北側から、細い道を通ってアプローチするのがいいかも。
by わたべ (2021-11-09 20:51)